外反母趾と靴屋
私の足は、生まれつきの外反母趾だったみたいです。
レントゲン写真での計測では、左38度、右42度くらいだったと記憶しています。
気づいたのは、小学校のプールサイド。友人の足は、私とは形が全然違ってたんです。両親は、私ほど外反母趾ではなかったのですが、その要素はあったようで、形が似ていました。
外反母趾は、徐々に進行していった様で、大学生の頃は、椅子に座ってくつろいだ状態でも痛む様になりました。22歳の時に両足の手術を受けるまで、靴屋へ行くのが嫌いでした。
裸足では歩けないから靴を履くという感じで。なるべく足の奇形が目立たせないことを優先し、特に年頃になってからは可愛い靴を選んだことがありませんでした。あの頃、自分の足を見る時の焦燥感といったら・・・。
中学生、高校生にもなると、友人たちが夏になると可愛いサンダルを履いていました。恵まれていることに気付きもしないで人前に晒すことが出来る人達を横目に、惨めな気持ちでいっぱいでした。そんな感情を今でも時々思い出します。嫌な思い出というより、そんな過去の自分を懐かしく思います。
足の手術は、2軒目の病院で受けました。最初に母に付き添われて行った横浜市大病院の若い医師のことは、今思い出しても嫌な感じです。
若さゆえ相手になめられたくないのか、当時大学生の私から見ても、言葉遣いや態度が横柄でした。大学病院から見ると、私の足は大して興味がわく症例ではなかったらしく、手術はできないとのこと。オーダーメイドの器具を取り付けて、気長に治療することを勧められました。
次に私ひとりで向かったのは、警友病院です。まずはレントゲンを撮り、外反母趾との診断でした。手術の内容を説明してもらい、受けたいのならすぐにでも予約を入れられるとのこと。目の前に予定表を出して、最短で3日後でも大丈夫だと言われました。
また、病院でもったいつけた事を言われるのかと思っていた私は拍子抜けしました。病院から、母に電話で費用のことを伝えると、それくらいなら出すとの返事。なんか 「こんなに簡単なことだったのか・・・」 と驚きました。
身体にメスを入れるとこをためらったり、骨を削ることに恐怖心があっても良いのに、私は醜い足から開放される喜びでいっぱいでした。
手術後の松葉杖生活は、今ほど街のバリアフリー化も進められていなかったので、駅を利用するにも大変でした。一部の人の不躾な視線に腹が立ったこともありました。あれを乗り越えた自分に、今は感心します。
ギプスも松葉杖も取れ、足のむくみも無くなれば、すっきりとしたシルエットの足になっていました。傷跡も、親指の付け根の関節の可動範囲がせまくなったことも全然気になりませんでした。
どんな靴にも合う足になって、靴屋に行ってスウェードの靴を買うのが好きでした。直後に就職していたので、靴にお金をかける喜びを味わっていました。今は落ち着いたのですが、当時を思い返すと抑えていたものが爆発したんだと分析しています。
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